嘘に満ちた朝日新聞の整備新幹線に対する姿勢

 

 整備新幹線事業費は、公共事業費枠の中では極めて少額を占めるのみであるが、朝日新聞はその実体を歪曲して伝えることを、ここ何年も続けている。下は2002年度予算原案発表時の例である。

 

 「新幹線予算が全体の中で巨額・しかも優遇されている」とする嘘

 予算関連を総括する記事の中で、兆とか千億という数字が並ぶ合間に、突然「採算性に疑問がある整備新幹線の事業費も同6.7%減と優遇された。」とし、その額には触れずじまいである。これは朝日新聞の常套手段であるが、実際整備新幹線予算は、そんなに国家財政の圧迫要因なのだろうか?

 整備新幹線事業費は、公共事業費全額の中では0.8%を占めるに過ぎない。空港予算よりも一桁強、道路予算よりも二桁少ない額である。月2万5千円の小遣いが2万円に減らされるのと、750円の小遣いが700円に減らされるのとでは、削減率では論じられない違いがある。

 

 嘘がばれないように、数字を隠蔽する手口

 2002年12月21日付朝日社説では『新幹線整備費も削減率は公共事業費全体よりも低い7%程度と「優遇」された。改革断行予算と銘打つからには、これら「大物」を凍結したり、抜本的に見直したりすべきであった。』とした。「大物」というのは、朝日の主観に過ぎず、客観的数字では、歳出81兆2300億円の内、700億円・歳出全体の0.08%である。「大物」といいながらその額には触れていないが、その表現が支出額の相対的地位を表現するものならば、これは真っ赤な大嘘である。

 苟も社説ならば、予算の全体像を論評すべきであって、防衛(4兆9500億円)や、社会保障関係費(16兆6700億円)、OECD(8400億円)、食料安定供給関係費(7200億円)等という大枠が如何にあるべきか、という検証が中心となるはずだ。しかし、全体像を伝える記事の中で、なぜか突然「新幹線」だけが特別扱いされて現れるのだ。そして、いかにもそれが支出の多くを占めている印象を与えるが、その具体的数値は明らかにしない。大物でないものを大物と言いくるめるために、わざと数字を隠すのである。社説を通して、国民の目と耳をふさぐのでは、「大本営発表」と少しも変わるところがないではないか。

 

 他人に責任転嫁、現状の解析・将来のビジョン無し

 その社説では、新幹線について『昨年の予算で大幅に増額され「我田引鉄」と批判された』と前書きをつけた。まるで第三者が当事者であるかのような受動体表現だが、私の知り限り、批判した当人は、朝日と、それに雷同し十分検証もしないで賛同した人たちである。この受動体化は悪質な責任転嫁である。根拠が挙げられないから、他人に責任転嫁をすることになる。『採算性に疑問がある』とするなら、その根拠を挙げるがよい。採算性に疑問はない、というレポートは複数ある。それをまじめに朝日新聞が検証し、論理的に反駁を試みた、という事実は私は知らない。すでに整備新幹線として、高崎〜長野間が開業しており、私も時々利用するが、いつも盛況であり、JR東日本も「採算性が悪いから、経営権を譲渡したい」とコメントしたとは一度も聞いていない。これから建設される路線についても、経営主体のJR各社は、一刻も早くフル規格での整備を望んでいるのは、採算性が優良であることの何よりの証であり、過大な需要予測を実現できず、青息吐息の地方空港とは全く異なっている。朝日新聞は現状の解析すらできずに、ただ感情論で整備新幹線事業を攻撃しているのである。

 小泉内閣が、今回道路予算に思い切って切り込んだのは、その拠出の多額さが、国庫を危うくしている根元の一つであることにようやく気づき、行動したことの現れである。一方、欧州での鉄道復権の動きとその根拠を挙げるまでもなく、新幹線整備は、空港・道路交通至上主義のアンチテーゼとしての、環境・財政対策である。朝日新聞は世界の趨勢も知らず、交通機関の特性も知らないのだ。こんな新聞が、社説で将来の展望を描こうとするとは恐れ入る。

 

 退化した朝日新聞

 ここで、東海道新幹線開業後の朝日社説の一節を紹介したい。これは、1967年7月17日、東海道新幹線の積算乗客が1億人を突破した際のものである。そこに書かれた交通体系に対する認識は、今でも十分通用する、いや今こそ重要な視点を提示する立派なものである。朝日の記者は、30年以上前の先輩の言葉を良く噛みしめ、せいぜい今の自分たちの不明を恥じるがいい。

 東海道新幹線の乗客が、この13日で1億人を突破した。(中略)この新幹線もその着工当時においては、一部の論者に「20世紀に万里の長城を築く愚挙」とまで酷評された。世はすでに航空機と自動車の時代であり、鉄道などは過去の遺物とみる向きも少なくなかった。新幹線はこの鉄道斜陽論に真向から挑戦し、実績をもってその反証を示したと言えるだろう。(中略)新幹線の最大の功績は、鉄道の持つ役割の大きさを、改めて我々に再認識させた点にあろう。少なくともそれは、外国ではこうだからといって、日本の実情を無視した道路・空路万能主義に対しての、強力な歯止めとなったといえるであろう。(中略)交通網をどんな交通手段の組み合わせでつくってゆくか、その選択を誤ってはなるまい。立派な高速道路を完成させたものの、走るのはレジャーに出かけるマイカー族ばかりだった、といったことでは困るのである。国民経済的にみて最も効率の高い交通網の建設、それは何よりも巨視的な視点が必要とされよう。道路は道路、鉄道は鉄道、それぞれ勝手に建設計画をたてるようでは、ムダを招くばかりである。(以下略)

 今の朝日が「退化」でなくて、なんであろう。