最初の殉教者。

422年前の今日・1597年2月5日、秀吉の命により、長崎でカトリック教徒26人が磔刑に処せられた。後年に相次ぐキリスト教徒弾圧による殉教の始まりであった。

長崎駅からほど近い「日本二十六聖人殉教の地」。彼らは畿内から護送され、この地で天に召された。

最年少の殉教者は12歳であったという。

江戸の高架水道。

神田川の開削で、一つ困ったことがあった。

家康の江戸入府後すぐに、街の基礎である水道の整備が開始された。神田上水である。小石川付近から水戸藩邸(後楽園)内を通り、江戸城内に水を導いていたのだが、その経路を断ち切ってしまうのだ。

そこで懸樋を建設し、神田川を越えることにした。

明治になっても使われていたらしい。役割を終えたのは、20世紀初頭だそうだ。

茗渓。

江戸川橋以東の神田川開削工事が開始され、おおよそ400年が経過。

それ以前は、首都高5号線沿いの現・日本橋川が流路だった。しかし、この経路は川が真っ直ぐ江戸城に向かうことを意味する。相次ぐ洪水から江戸を守るため、2代将軍秀忠が伊達政宗に命じて、駿河台を開削して東流し、隅田川へ注ぐ今の流路の整備を開始したのであった。法面に沿うように、中央線が走る。

水面からの掘削深は、最大で20メートルを越えていると思う。

この部分が人工河川であることを忘れてしまった人が多いと思う。