活火山。

東側から。

南側から。

誰もが知ってる浅間山。しばしば噴火していることも知られているし、歴史の教科書には「天明の大噴火」も載ってると思う。でも、そんなのは序の口。人類が日本列島に住み始めて以降、さらに大規模な噴火が何度も起きている。

早川先生作成の浅間火山の噴火史表をご覧いただきたい。天明の大噴火は表の一番上。0.217kaとは、「0.217千年前」、つまり(西暦2000年から)217年前を意味する。「規模」は噴出したマグマの総重量を対数で表す。噴火マグニチュードとも言われ、「log(噴出マグマ質量kg)-7」で表される、早川先生提唱の値だ。天明の大噴火では「4.5」、すなわち1.0×10の11.5乗kg、すなわち約3億2000万トンのマグマが噴出したのだ。地震のマグニチュードとは違い、噴火マグニチュードは1大きくなると噴出物総量は素直に10倍になるので、感覚は掴みやすい。上表からは、規模(噴火マグニチュード)5を越える噴火が、平安時代後期の西暦1108年を含め(天仁の大噴火)、過去何度も起きていることが分かるだろう。

まあ、日本はそういう国だから。今まで何度も触れたが、国土喪失を含む規模の破局噴火でさえ、想定内である。問題は、国民がそれを意識していないことである。

聖地接続橋。

産まれて初めて除夜の鐘というものを突きに行った。神社に初詣には行かない。初詣でなければ神社に行くこともあるが、賽銭はビタ一文やらん。神社本庁所属神社の懐にカネが入れば、それは自動的に、日本会議というエセ愛国カルト集団に流れることになる。国民主権を否定し、歴史修正主義や男女差別を公言して憚らないこれらの集団は、ほんらいの宗教とは無関係であり、我が国の神域を蹂躙する曲学阿世の徒である。大日本帝國厨とも言える彼らは国益にとって有害無益だが、すでに国政の中心にまで入り込み、日本への害毒を内外に垂れ流している。必ず討ち滅ぼさねばならない。苟も愛国者を名乗る者は、決して彼らに同調してはならぬ。

神田明神への参拝客を尻目に、こちらへ訪れた。

ニコライ堂。

湯島聖堂。

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程々に寒い気候。

真冬日が続く北日本とは違い、このあたりはほぼ毎日、気温が氷点を挟んで上下を繰り返す。午前中に気温が上がると凍った地面が溶け、深夜になって再び氷点を下回ると凍り始める。

凍り始める時刻に、土の上を歩くと、氷の結晶が成長し始めているので、シャリシャリ音がする。懐中電灯で照らすと、結晶にそこかしこで反射し、まるで宝石をちりばめたようになる。

新年おめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。

精神の中軸に「正義」を。

「正義」を口にすると、訳知りの声が返ってくるね。

曰く、

〝正義の定義は人によって違う〟〝正義を振りかざすことが軋轢を生み、争いの元となる〟etc.

・・・ああ、如何にも「ものを考えている」体だね。だが、それは何にも言っていないのと同じ。世の中の不条理に目を閉ざし、何もせず、逃げる言い訳にしかならない。百歩譲ってそれらの声に耳を傾けるとしよう。たしかに定義は人によって違い、時代によっても変遷するかもしれない。その複雑さゆえ、思考放棄し「正義」から逃げていないか?

本当に守らなければならないものは、そんな複雑じゃない。

今の日本なら、〝平等であること〟〝抑圧されないこと〟。この2点で十分である。

そこで「じゃあ平等って何よ?」って言ってるヤツ。反論する前に、自分の身の回りを見てみろよ。門地・性別・職業による差別は幾らでもあるだろ?見ようとしないから見えないんだ。

「北朝鮮じゃあるまいし、抑圧なんて…」なんて言ってるヤツ。お前の目は節穴か?企業は過去最大の内部留保を抱えている一方、貧困家庭が6分の1に達し、母子家庭なら半分が貧困である。多額の学費にあえぎ、意思や能力があるのに進学を断念する人も多い。やっと卒業しても、奨学金が重くのしかかる。

婚姻時、「女性が姓を変えるのが当たり前」だと思っていないか?96%の女性が改姓を余儀なくされる。これのどこが抑圧じゃないんだよ?たった今、妻の実家じゃなくて夫の実家に妻を泊まりがけで伴い、夫のほうは炬燵で丸くなって妻に実家の家事をさせたりしていないか?家父長制っていう奴隷制の下に、女性を虐げていないという確信は、一体どれだけの男が持てるのか?

たとえ「平和憲法」の元で、上っ面だけの平等を法が保証していたとしても、実態として平等が確保されていなかったり、抑圧状態が残っていれば、その状態は決して正義ではない。

もう一度言う。〝平等であること〟〝抑圧されないこと〟。この2点は、現行法すら凌駕する、人類が追求すべき普遍的価値である。仮に現時点でこの2点が実現していなければ、逡巡することなく法を変える必要があり、そのような価値観を共有できる人だけに政治は任せないといけないのである。

現政権を見るがいい。彼らは本当に、その価値観を負託するに足りる存在なのか?今一度考えてみる必要がある。

来年は、エセ愛国カルト政権はもう要らない。今必要なのは、個人が正義をその心底に抱き、それに背く存在には明確にNo!を叩きつける勇気である。

来る2019年の皆様もご多幸をお祈り申し上げます。よいお年を。