恩人たち

「朋百舎密書(ぽんぺせいみしょ)」が化学遺産(日本化学会選)に認定。これ、残っていたのか!!!松江赤十字病院は偉い!!。

オランダ人軍医ポンペが、幕末期に長崎の西洋医学所で講義した記録である。後に化学に進んだ人が記したので、主にそちらの記述が多い。舎密=化学(Chemistryの発音から由来)である。

ポンペは言うまでもなく、近代日本医学の大恩人である。幕末~明治初期の医学に携わった人達には、ポンペから長崎で直接講義を受けたお弟子さんたちも多い。

なぜ医学でなく「化学」なのか?そこが西洋医学の思想そのものであり、ポンペはその精神も伝えようとしたのだ。医学とは、数学・物理学・化学など、全ての学問を元に構成されている総合科学である。従ってポンペのカリキュラムには、これらの基礎科学の講義も入っていたのだ。「医者は医術のみ」だった当時の日本人にとっては、衝撃的だっただろう。

ポンペがすごかったのは、それらの基礎科学も、全て自ら講義したことである。

問題は、それら全ての講義を理解するに足るほどの蘭語の語彙力を持っている当時の日本人学生など、居ないに等しかっただろう。恐らくただ一人の例外・佐渡の伊之助(司馬凌海)を除いては。

伊之助のお陰で、多くの日本人学生がポンペの講義を理解でき、近代医学用語もできあがった。伊之助も近代日本の恩人である。しかし、学生たちの多くがその後、明治政府の元で大役を果たすことになった一方、伊之助は一人寂しく死んだ。

伊之助はアスペルガー症候群(AS)であったと伝えられる。恐らく間違いないだろう。彼の小説を記した司馬遼太郎も凄い。司馬遼太郎は恐らく、ASなんて概念は全く知らなかったはずだが、ものの見事にそれを描写しきっている。