新潟県知事の言うことは、半分だけ聞こう。
新幹線建設にかかわる問題提起は、結局は地元への利益誘導のためか
2009年12月8日追記事項はこちら→
「正論」の影に見え隠れする「利益誘導」
現行の新幹線建設スキームや事業費決定は、多くの問題を抱えている。整備新幹線建設費には、地元負担分が少なからず含まれている。上越新幹線までの路線がそのような発想なしに建設されたことを考えれば、明らかに不公平である。いわゆる「並行在来線」を経営分離し、地元が負担して運営していかなければならないルールも、さらに地元を追い込んでいる。建設費についても、100%に限りなく近い落札率(一連の不況以降、かなり改善はされているようだ)をはじめ、多くの不透明さがある。泉田新潟県知事は、北陸新幹線の建設費が増加し、それに従って地元への追加負担を要求されたことに異を唱え、追加負担支払い拒否、という前代未聞の手に打って出た。泉田知事が掲げた「反旗」を狼煙として、過大な地元負担や、公共工事全般のありかたの見直しなどが進むことに、少なからず期待を寄せた人も少なくあるまい。私もその一人であり、泉田知事のやることを今まで見守ってきた。しかし、その後の泉田知事の言動からは、首をかしげたくなるようなことが次々と飛び出し、さすがに見過ごすことができなくなってきた。「上越駅全列車停車の要求」などは、新幹線建設に係わる諸問題の解決に道を拓くどころか、結局は地元への利益誘導が目的なのか、と思われても仕方がない。もちろん、地元の知事として、そのような要求を出すのは理解できるが、やり方がまるで駄々っ子のようなのである。訳の分からない説得力に欠けた文言や、無理解に基づいた不正確な事項をならべたてても、結局は新潟の孤立化をもたらすのみである。想像するに前原国交相も、泉田知事の主張する「正論」の裏に、「利益誘導臭」を敏感に感じ取り、嫌悪感を抱いたのではないだろうか。
泉田知事の「勘違い」「無理解」「ごり押し」
2009年11月11日の知事記者会見から引用する形で、その内容を検証してゆくことにしたい。
「工区別・工種別の単価等を教えてほしい」という話では、「予定価格、落札額、落札者等を出してください」ということについて、(説明が)全く不十分です・・・これは正確ではない。単価等は、鉄道・運輸機構のホームページでも公開されている。工区全体で、どのくらいの材料を用いるか、またどのような工種を取るかは、入札広告の時に、全て公開されている。そのくらいの計算は、新潟県でやったらどうか。自分で出来る部分もやらないでおいて、「説明が無い」などと言うのは、単なる横着である。これでは、原発や遺伝子組み換え食品について自ら懸命に勉強することをせず、ただ「安全性への説明が無い・理解できない」という理由だけで拒否する輩と全く同一ではないか。
さらに訳が分からないのは、以下の答弁である。
なぜ主要駅は必ず停車する前提で組まれていて、上越(仮称)駅は高速通過という規格になっているのか。運用を念頭に置かないで規格は定められるわけがないので、どういう発想の元で上越(仮称)駅の高速通過という規格を設定したのか根拠を聞いているのですが、これも梨の礫ということです・・・一体、何を以て上越駅が「高速通過という規格」と判断しているのか、全く理解できない。上越駅は、通過線のない2面4線の構造である。これはむしろ、全列車停車が前提の構造である。同じ北陸新幹線では、長野駅・富山駅・金沢駅と同じだ。他の路線に目を転じれば、仙台駅・盛岡駅、品川駅・新横浜駅・名古屋駅・京都駅・岡山駅・広島駅・小倉駅も同じ作りである。これらは全て、通過列車はゼロである。
第一、停車するか否かは、駅のつくりには係わらない。かつては、名古屋駅や京都駅を通過していた列車もあった。駅の構造を以て「停車・通過」を云々するなど、全く意味のないことなのである。それなのに、「上越駅を列車が通過する可能性があるから、それが怪しからん」という言い方は実に珍奇かつ意味不明である。中間駅に対し「絶対に通過列車無し」などの設計をすることは不可能だ。それが分かって発言しているのなら、チンピラの因縁と同程度ではないか。物理的に「絶対停車」を要求するなら、終着駅にする以外あるまい。それとも泉田知事の真意は、「上越駅よりも西側の建設は中止せよ」ということなのだろうか。
2009年12月8日追記:新潟県の言いたいことは、どうやら以下のことらしい。
ホーム端と軌道中心線間の距離は、通過列車の有無によって原則として次のようになっている。
・通過列車がある場合:1795mm(車体重心の横移動98mm+軌道公差による偏倚12mm+余裕10mm+車体幅の半分1675mm)
・通過列車が無い場合:1760mm(車体重心の横移動64mm+軌道公差による偏倚11mm+余裕10mm+車体幅の半分1675mm)
上越駅は当初、終着駅の設計だったので、当然のように通過列車が無い設定だったが、金沢までのフル規格化が決まったので、これもまた当然のように、本線側が「通過列車あり」の設定となったが、それが気にくわないらしい。
あるシステムを構築する場合、技術的に可能ならば、「AもBも可能なように設計する」のは当然のことだ。使い始めると、あらゆる状況に対応する必要があるため、冗長度の高いシステムでないと、後戻りが生じて無駄の元となる。技術的にはできるのに、わざわざ「Aしかできない」「Bしかできない」ようにするのは、システム全体のパフォーマンスを下げることになり、設計側としては容認できないだろうし、このような横やりは『技術の冒涜』と言うものだ。たとえ『通過列車無し』で設計しても、低速で通過したり、一旦停止してもドア扱いしないことは不可能ではないし、泉田知事の主張は、無意味でお門違いなことは変わりない。新潟県が心配すべきことは、現状1時間に1本は直江津に停車している『はくたか』より利便性を下げないことであり、ソフトウェアの問題をハードウェアに持ち込もうとするのは、全くものの道理を理解していない馬鹿者の主張である。そもそも、泉田知事の主張は「どの列車も県内に必ず1駅は停車する」ということなのだから、糸魚川に停車する列車は上越を通過してもよいことになり、自己矛盾を抱えている。実際に開業してみれば、1時間に最低1本・最繁忙時間帯3本ほど設定されるであろう列車のうちほとんどは上越駅に停車し、通過するとしても、一日1〜2往復の『最速達看板列車』のみだろう。その通過列車があることくらいで「地元に不利益」だのとゴネる程度の地元ならば、全国の観光客を惹きつけることなど最初から覚束無いだろう。「ここは魅力のない土地ですよ。そのままでは誰も来てくれないから、列車を無理矢理止めますよ」と自ら認めているようなものだからだ。
物理的に列車の速度を落とさせる方法は、他にも2つ考えられたのだが(敢えて伏せる)、そちらでなくて良かったと思う。
参考文献:高速鉄道研究会編著『新幹線 −高速鉄道技術のすべて−』102ページ 山海堂 2003年10月26日初版 発行者 海野巌
そもそも通過列車があるかないか、など、誠に無意味な議論である。2時間に1本しか来ない列車が確実に停まるのと、30分おきに走る列車の2本に1本が停まるのとではどちらの利便性が高いか、幼稚園児でも分かることだ。泉田知事のお膝元では、東京−新潟間を無停車で走る『とき』が1日1往復設定されているが、この列車が長岡に停まらないことで、一体誰が不利益を受けているというのか。途中停車の列車を前後に設定することによって、不便にならないように配慮されているのである。停車駅の判断は運営するJRが決定することであり、その件について、他県を巻き込んでまで鉄道・運輸機構や国交省にねじ込むのは、筋違いも甚だしい。今でも『はくたか』が1時間に1本、通過列車無しで設定されているのだから、何をそんなに不安に思う必要があるのだろう。もちろん、それは方便で「条件闘争」のネタとして用いているだけだとは思うが、それにしてもあまりにもやり方が稚拙かつ姑息である。
直接前原大臣と面会した際に、工事費の落札率が高いわけですが、「それは私も関心があります」と。したがって「調査します」と約束したのですが、現在に至っても調査をどう進めるのか、どういう状況なのか、理由は何なのかについての情報開示はいただいていません・・・これについては、11月27日付で、前原国交相から問題解決への指示が鉄道・運輸機構に対して出された。時間的な差は仕方がないが、これは泉田知事も率直に評価すべきだろう。それに加えて、同大臣は、並行在来線の地元負担についても見直す考えを表明している。矢継ぎ早に対策を打ち出している国側の姿勢と、自らの偏狭な考えに固執している泉田知事とは、実に対照的である。
「新潟県以外の施設で新潟県に請求書を回しました」というリストです。約440億円になります。それぞれの施設にどういうものがあるかというと、「主な工種」で高架橋を作りました、トンネル・盛土しました、橋りょうを作りました、というのがあります。「これがどうして共通経費なのかについて、それぞれの根拠を教えてください」という質問をしたわけです。それに対する機構の回答は「要綱に書いてあります」と。別表2の注2に「共通経費とは、車両基地、保守基地、変電、指令、工事用機械、工事用建物、諸建物、工事附帯事務費、管理費をいう」と定められており、これが共通経費の根拠となっている。これが回答です。前原大臣はこれが「懇切丁寧な回答」と言うのでしょうか・・・施設が何処にあろうが、それは北陸新幹線運営の全体に係わることであって、どれが欠けても列車の運行は出来ず、従って施設の場所には関わり合いが無く、新潟県にも請求書が回るのは当然である。愛知県で製造された自動車が、新潟で走ってはいけないのだろうか。
自ら議論を貶め、極めて残念
新潟県による多額の負担は理解している。しかしそれは、上越駅・糸魚川駅という2駅の設置という形で還元されている。これが「不足」だと言い出したらキリが無いし、では幾らの負担だったら2駅設置に見合うのか、それこそ泉田知事は、感情論を抜きにした計算書を提出して説明すべきではないか。単なる「地元のゴリ押し」では、国民の理解は全く得られない。
新幹線建設スキーム見直し、公共工事の透明性の推進、という非常に大きくて意義のある問題解決を目指すなら、少なくとも当初はその主張「だけ」に特化しておくべきであった。地元の受益についての議論は二の次にしておけば良かった。そうすれば、知事の支持者はもっと増えただろう。それなのに「停車駅」を問題にしたことで、非常に矮小な議論に、自ら貶めてしまったのである。
これが行政の長の口にする言葉か!?
さらに今日(12月2日)になったら、知事の名で、目を疑うようなコメントが発表された。
本来、上越(仮称)駅は、JR東西の境界駅でもあります。全列車停車が、 安全上も当然であるにもかかわらず、これでは、上越(仮称)駅の通過を話し 合うPTではないかと受け止めています。
「全列車停車が安全上当然」というのは、現場の状況と、鉄道事業者の創意工夫を全く無視した荒唐無稽な主張であるうえ、「通過を話し合うPTではないか」とは、いったい何のつもりなのだろう。この異常なコメントが新潟県から発表されるよりも前に、3県(長野・富山・石川)知事は、本来彼らが容喙すべき事では無いにも関わらず、泉田知事に配慮し、上越駅への全列車停車を容認する旨の発言を、まさにそのPTで行っているのである。それを知っておきながら、こ のようなコメントを平然と発するとは、一体自分を何様だと思っているのだろう。人をバカにするにも程がある。 まるでガキの言い分であり、悪意さえ感じられる。まっとうな大人、そして行政の長が口にするような言葉とは、とても信じられない。自分の不勉強や理解度の低さを棚に上げておいて、他人にその責を転嫁する、極めて悪質な態度であり、行政の長として不適格である、と断じられても仕方があるまい。こんな人物に、少しでも期待した自分がバカだった。私には越後人、しかも中頸城人の血が半分流れているが、恥ずかしい限りだ。
泉田知事がこのまま態度を変えないのなら、それも良かろう。法的には、工事の続行は可能である。新潟県にはもう負担を要求しない代わりに、上越駅・糸魚川両駅の設置はお預けにし、下り金沢行きの列車の、飯山駅の次の停車駅は新黒部駅、ということにすればよろしい。仮にそうなったとしても、それは泉田知事が自ら招いた結果である。